第37回「カナモジカイ ノ イッセイキ」
開催概要
日時 | 15:00〜17:30(開場14:30) |
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会場 | バルト(東京・阿佐ヶ谷) |
ゲスト | ワタナベ サトシさん(カナモジカイ会長) カワイ ヒロシさん(「カナ ノ ヒカリ」編集長) キクチ カズヤさん(カナモジカイ理事) |
参加費 | 1300円(飲み物つき) |
定員 | 30 名 |
内容
カンジワマナブノニジカンガカカルウエ、ヨミカタヤジタイガイクツモアリ、オナジオトノジガオオイトイッタムツカシサガアリマス。ニホンゴヲアラワスモジヲドウスベキカトイウギロンワエドジダイニモアリマシタガ、キンダイ=カノナガレノナカデマスマスサカンニナリ、カンジノハイシ、セイゲン、カンリャク=カヤ、ローマジ=カ、カナモジ=カトイッタサマザマナシュチョウトウンドウガクリヒロゲラレマシタ。コウシタナカ、1920ネン(タイショウ9ネン)ニヤマシタヨシタロウラニヨッテカナモジカイノゼンシン「カナモジキョウカイ」ガセツリツサレマシタ。
カナモジカイノモクヒョウワ、ヨコガキ=カ、カンジノジシュノセイゲン、ワカチガキ=カナドヲダンカイテキニススメ、サイゴニヨコガキカタカナヲニホンゴノフツウノアラワシカタニスルトイウモノデシタ。シカシ、カタカナニスルトイウコトバカリガチュウモクサレ、コトバノエラビカタカラカエテイコウトシタカツドウデアッタコトヤ、センゼン ・ センゴニマタガルコクゴコクジカイカクニエイキョウヲアタエツヅケタコトワカナラズシモヒロクリカイサレテイナイヨウデス。
ソノカナモジカイモ、コトシ11ガツ、オシクモ93ネンノレキシヲトジルコトニナリマシタ。ソコデコノタビカナモジカイヨリワタナベサトシサン、カワイヒロシサンホカヲゲストニオムカエシ、カナモジカイノカツドウノアシアトヲウカガイタイトオモイマス。マタ、カナモジカイガツクッテコラレタカナモジ=ショタイニツイテモウカガイマス。
漢字は学ぶのに時間がかかるうえ,読み方や字体がいくつもあり同じ音の字が多いといった難しさがあります。日本語を表す文字をどうすべきかという議論は江戸時代にもありましたが,近代化の流れの中でますます盛んになり,漢字の廃止・制限・簡略化や,ローマ字化,カナ文字化といったさまざまな主張と運動が繰り広げられました。こうしたなか,1920年(大正9年)に山下芳太郎らによってカナモジカイの前身「仮名文字協会」が設立されました。
カナモジカイの目標は,横書き化,漢字の字種の制限,分かち書き化などを段階的に進め,最後に横書きカタカナを日本語の普通の表し方にするというものでした。しかし,カタカナにするということばかりが注目され,言葉の選び方から変えていこうとした活動であったことや,戦前・戦後にまたがる国語国字改革に影響を与え続けたことは,必ずしも広く理解されていないようです。
そのカナモジカイも,今年11月,惜しくも93年の歴史を閉じることになりました。そこでこのたびカナモジカイより,ワタナベ サトシさん,カワイ ヒロシさんほかをゲストにお迎えし,カナモジカイの活動の足跡を伺いたいと思います。また,カナモジカイが作ってこられたカナモジ書体についても伺います。
ゲスト
プロファイル
ワタナベ サトシ
1938年うまれ。大学卒業後,1985年まで小学校,中学校(国語科)教諭。そのころからカナモジカイ会員。
1998年から財団法人カナモジカイ理事,今にいたる。(ただし,財団法人カナモジカイはことし11月で解散する。)
この間,外国人に対する日本語教師,日本語教授法教室講師など。
2005年,カナモジカイから「ワカチガキ ノ テビキ」を出す。カナ,ローマ字共通に使える単語式(学校文法での単語を修正したうえでの)ワカチガキを提案。これはワタナベの古くからの考えであるが,かつてマツサカ タダノリ理事長の時代のカナモジカイでは異端の論である。
カワイ ヒロシ
1931年,横浜で生まれる。1987年,財団法人カナモジカイ入会。1997年,慶応義塾大学法学部通信制卒業。1998年から財団法人カナモジカイ理事。「カナ ノ ヒカリ」の編集など担当。